僅か69名で高崎城を乗っ取ると言う、捕らぬ狸の皮算用の挙兵計画が中止になった渋沢栄一とその一味。挙兵計画が中止になったとはいえ、村に槍や刀などの武器を持ち込んでいたことで領主から目をつけられていたこともあり、伊勢神宮への参詣という名目で実家を出て、渋沢喜作と共に京へ向かいます。
京の都に向かうアテ
まず、伊勢神宮への参詣という名目で京に行くのですが、関所を通るには手形が必要です。どうやって関所を通過出来たかというと、平岡円四郎の家来という名義の手形を江戸で手に入れたからです。
平岡円四郎は徳川慶喜(当時は一橋慶喜)の用人であり、若いころから聡明であったため、川路聖謨といった有力旗本や藤田東湖の様な水戸藩士に認められて、慶喜の小姓を務めていました。栄一が江戸で学んでいた際、平岡円四郎の部下である川村恵十郎が「百姓育ちにしては、面白い奴だ」と言って、栄一と渋沢喜作を平岡円四郎に引き合わせています。その時、平岡円四郎は栄一を「ただの百姓ではない。学もあり、武芸もなかなかの腕前である。」と評価していました。
平岡円四郎は、慶喜が禁裏御守衛総督(京都御所を警護するための役職)に任じられた時に京に行くことになりますが、その時に、栄一と喜作の両名に「一緒に京に来い」と勧めます。栄一と喜作は、無謀な挙兵の準備のために江戸に来ていたので、断るのですが、ここで周到に約束を取り付けます。
栄一「もし、御同行するということになると、どのような手続きをすればいいのでしょうか?」
平岡「私の家来になるということだ」
栄一「なるほど。今すぐは無理ですが、いずれ後から参ります。その時には、御家来の名義をお貸し下さい」
栄一の上手い言い回しで、行くとも行かないとも断言せず、チャンスがあれば家来にしてもらおうという言い分でした。後年、起業家として多くの会社に関わる栄一ですが、調整役に回ることが多く、それをやり遂げていました。平岡円四郎とのやり取りを見ると、若いころから交渉のセンスがあったと言えます。
話を戻します。江戸から京に向かう途中、関所を通過する必要がありますが、平岡円四郎と繋がりがあったため、平岡円四郎の家来という手形を貰い、特に疑われることも無く、東海道を進み、京へ向かうことなります。
京に向かうその前に…
さて、手形を貰って京に向かう前に、ちょっと寄り道します。栄一の懐事情はと言うと、父から100両ほど貰っているので、かなりお金を持っている状態です。そして、吉原へ向かいます。不夜城と言われている、あの吉原です。妻子持ちですが、一度は死を覚悟して挙兵しようとし、結局中止になったので、もうどうとでもなれ!という気概だったのでしょう。後年、栄一は女遊びをしたり、妾を持ったりするのですが、それがこの時に目覚めたのかもしれません。
ちなみに、吉原では福地源一郎(福地桜痴)と出会います。福地源一郎は演劇家・文学家として明治期に活躍していますが、女遊びがとても好きだったらしく、吉原に通っていたそうで、たまたま栄一と出会っています。吉原で栄一と出会ったことがきっかけで、後に、栄一の紹介で伊藤博文と意気投合して大蔵省に入ることになります。また、栄一と一緒に東京商法会議所(東京商工会議所の前身)を設立します。
編集後記
思わぬ過去の繋がりに助けられた格好となり、京へ向かう渋沢栄一(と渋沢喜作)。吉原でちょっとヤンチャしますが、そこでの出会いも後年に繋がるという、なかなか不思議な旅立ちとなりました。
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参考資料
第1巻(DK010017k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団
2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!