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渋沢栄一の歩兵取立御用

栄一と喜作が関東で人撰御用の旅に行って、少しは一橋家の家臣が増えましたが、それでも増えたのは、主に役人と言われるような人だけでした。江戸時代の大名家は軍隊を持っていましたが、一橋家には軍隊と呼ばれるような兵力は持っていません。そこで、栄一は募兵の旅に出ます。

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一橋家の兵力増強

そもそも一橋家の名前の由来は、江戸城の一橋門の屋敷から来ています。関ヶ原の戦いや大坂の陣と言った戦国末期から江戸時代初期に成立した大名家とは違い、将軍の後継者を輩出するための存在でしたので、領地は10万石くらいありましたが、武蔵・下野・下総・越後・摂津・和泉・播磨・備中と言った各所にちょっとずつ領地があるという状態です。そして、兵力がほとんどありません。

栄一の頭の中には、「国を強くするために、一橋家を強くする必要がある」という方針があったので、現状を憂います。一橋家の当主や重臣を警護するための兵士が少しいたくらいで、統率されたような軍隊は存在しません。

  • 一橋家の当主・慶喜が京都守衛総督であるのに、一橋家の兵力が貧弱
  • 慶喜の親衛隊100人、御徒士御小人*1が少々
  • 御持小筒組が2小隊(鉄砲隊。しかも幕府が貸してくれた軍隊)

というくらいしか兵力がありませんでした。これでは慶喜がいくら優秀であっても、一橋家がリーダーシップを取ることが出来ません。他の大名に一捻りにされます。

そこで、栄一は用人筆頭の黒川嘉兵衛に次の提案します。

  • 農民から1,000人ほど募集してくる
  • それを二大隊に編成して訓練する
  • 借りる軍隊よりも強く、安上がりになる

まず1,000人ほど集めて、500人ずつの鉄砲隊を2つ編成します。全員が鉄砲を持つわけでは無く、弾薬持ちや補給係も必要ですので、洗練された訓練を行い、強力な常備軍を作ります。そして、幕府から借りている軍隊は、兵士の給料も高く、装備品も一橋家が負担することになるので、自前で軍隊を持った方が安いのです。しかも、幕府の軍隊なので、いつ幕府に取り上げられるか分かりません。

栄一は、自前で軍隊を持つメリットと、幕府から軍隊を借りるリスクを持ちだして、黒川を説得し、「歩兵取立御用掛」に任命してもらい、摂津・和泉・播磨・備中の一橋領を回って兵士を募集する旅に出かけることになりました。

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苦戦する募兵

なかなか集まらない

栄一は大阪の川口の代官所に寄って兵士を集めようとしましたが、代官から「まずは遠い備中から集めたらよろしいかと。遠方での募兵が上手くいけば、その噂を聞いてここら(摂津・和泉・播磨)の農民が志願してくるかもしれません。」と提案を受けて、備中に向かいます。

栄一は備中の板倉に到着し、そこでは庄屋たちがうやうやしく出迎えてくれました。徳川譜代大名の板倉家の領地でしたので、一橋家の役人が来るとなると、それはもう丁重な扱いを受けます。そして、農民の前では籠に登場し、土下座させるということまで行います。栄一が若い頃、岡部藩の代官にされたことを、そっくりそのまま自分でやっていました。出世した人が特権階級になったと勘違いして、肩書きを振りかざすこととお同じですね。世の中のサラリーマンの皆さん、気を付けて下さいね。嫌われますよ。

備中に到着した翌日から、陣屋での演説をスタートします。大勢の農民の前で、丁寧に募兵の意味を説明します。ですが、志願する者が出てきません。栄一は自分の「熱意や説明が足りない」と考え、物腰柔らかな栄一のトークも、日増しに熱を帯びてきます。しかし、それでも志願する者は出てきませんでした。

裏がある

栄一は何か裏があると考えました。世の中も機運が高まっているのに、国のために立ち上がろうと考える者がなかなか出て来ないのはおかしいと考えたのです。そこで、一旦、演説を打ち切り、庄屋に尋ねます。

栄一「この辺りに、剣術の先生や有名な学者はいるか?」

庄屋「剣術でしたら関根先生、学者でしたら阪谷朗廬先生*2がいます。」

栄一はそれを聞くと、 翌日、阪谷が開いていた「興譲館」という塾を訪ねます。そこで、阪谷とその門下生たちと、今の時勢について語り合います。塾で語り合うだけでなく、栄一の泊まっている宿に招き、時局談の続きに花を咲かせました。阪谷は非常に進歩的な開港論を持論としており、尊王攘夷の栄一とは反対の考えでしたが、栄一は聞き上手でしたので、阪谷と門下生たちは楽しかったのでしょう。栄一もまた、阪谷の話を聞いて、新しい知識を得たことは財産となります。

それから数日後、剣術の先生と呼ばれる関根某*3と手合わせします。栄一の剣術はずば抜けたものではありませんでしたが、関根某よりも勝っていました。そして、村にはこんな噂がひろまります。

「こんどのお役人、若いがひと味違うらしい。なんでも、阪谷先生と対等に議論出来るし、関根先生よりも剣術の腕が立つらしいぞ」

噂を聞きつけた好奇心のある若者が、栄一の宿を訪ねてくる様になり、時には論じ合ったり、時には剣の手合わせをしたりと、近所のお兄ちゃんみたいな感じになります。

志願者、現る

栄一は「鯛網漁の季節だから」と言って、興譲館の門下生や宿に訪ねてくる者たちを誘って浜に出かけます。そこでは見事な鯛が網にかかっており、見物人が大漁祝いで酒樽を投げると、漁師たちは鯛を何匹かお礼すると言ったような、景気の良い光景でした。そして、そこで取れる鯛は安くて美味いということでしたので、イキのいい鯛を何匹か勝って料理させ、鯛料理を楽しみ、酒を飲みながら詩を吟じます。

ところで本来の栄一の役目は、一橋家の領地から兵士を募集することです。しかし、栄一は、時局談に花を咲かせ、腕が立つ者たちと剣を交え、そして何人か引き連れて外に繰り出して遊ぶということを数日続けていました。放蕩貴族もいいところです。すると、ある日、5人ばかりが「志願したい」と言って栄一のところに直接申し出て来たのです。栄一の狙いはの一つはこれでした。

思惑

志願者が出て来たその夜、栄一は庄屋たちを集めて言います。

「今まで陣屋でいくら説得しても、志願する者はいなかった。このままずっと陣屋で演説していても私も生きて京に帰れない。しかし、今日、このような志願書を出して来た者が5人いた。その中には総領息子*4までもいる。」

それを見た庄屋たちはびっくりします。そして栄一は続けます。

「ここ数日で接した者たちが、こうやって志願してきたのだ。しかしながら、陣屋で多くの人の前で説得したのに、志願する者が全く出て来ない。私のしていることを妨げる者がどこかにいると考えている。私は、事と次第によっては、庄屋の5人や10人を斬り捨てるくらい何とも思わない人間だ。そのつもりで返事をしろ。陣屋の役人が面倒ごとを嫌って、邪魔しているのであろう?」

庄屋たちは静まり返ります。すると、庄屋の長老株の一人が観念したかの様に事情を話しました。庄屋が陣屋の役人が言われたのは、

  • 近頃の一橋家は下賤の身だった黒川の様な成り上がり者が多くなって困る
  • 成り上がり者は山師根性が抜けず、出世の手がかりになる様な新しい事を始める
  • 新しいことに付き合っていては村にも難儀になる
  • 「十分に説得したが、一人も志願者はおらぬ」と言うように命じられた
  • 役人自身が迷惑するので、この話は内密に

と言うことでした。しかも、栄一が陣屋で説得したところ、実は志願する者が大勢いたのです。しかし、庄屋は「そんなことを言ってはならない」と言って止めてましたが、遂に栄一に直接志願する者が出てきたので、庄屋たちは参ってしまいました。

こうなると、庄屋たちは陣屋の役人にどんな仕打ちを受けるのか分かりません。庄屋たちは「何とか穏便に済ませて欲しい」と栄一に懇願します。栄一は「迷惑がかからないように取り計らう。その代わり、今後、青年たちを説得する時には尽力して欲しい。」と庄屋たちと約束を交わします。

そして次の日、栄一は陣屋の代官のところに行って注意を申し伝えます。

「明日から陣屋での説得を再開するが、今回の歩兵取立御用は、慶喜公の深い思し召しがあってのことだ。私は、主命が果たせなかったから職を放り出すということはしない。志願者が出て来ないからと言って引き下がるわけにはいかない。志願者が出て来ないか原因を徹底的に突き止める必要がある。何故そうなったのか調べ、証拠を握ったら対策を講じなければならない。その時は、貴殿(代官)に傷がつかないとも限らない。そういうことを深く考えて、お返事頂きたい。明日からの説得については、庄屋を激励して尽力して下さるでしょうな?」

ここまでくると、脅迫のレベルまで至ってるのですが、外堀を埋めているので、陣屋の代官は「はい」としか言えません。そうして、翌日から説得は再開し、200人以上の志願者が集まりました。

そして、備中で成果を上げた栄一は、そのまま播磨・摂津・和泉の順に回って志願者を集めます。大阪の川口の代官が言った通り、備中での噂が広まって、各所で多くの志願者が集まりました。その結果、備中・播磨・摂津・和泉で450人ほどの志願者が集まったのです。

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編集後記

当初の1,000人を集めることは出来ませんでしたが、それでも十分な兵を集めることが出来ました。兵士に志願すると言うのは、命を預けることと一緒の意味です。そのため、募兵と言うのはなかなか難しいものです。しかし、一橋家の役人という立場を振りかざすだけではなく、栄一は人間として、そして志士として人と接することで、多くの人の心を開くことが出来たのです。

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参考資料

第1巻(DK010025k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

『父 渋沢栄一』(実業之日本社文庫)

『渋沢栄一』(人物叢書)

2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!

*1:おかちざむらいごこにん。足軽クラスの兵士。

*2:さかたにろうろ。阪谷芳郎の父。阪谷芳郎は栄一の次女・琴子と結婚する。

*3:残念ながら後世にフルネームまで残っていない。

*4:家の跡取りのこと。