ひょんなことから一橋家に仕官した渋沢栄一。渋沢喜作と共に心機一転で一橋家でのサラリーマン生活が始まります。
一橋家での立場
渋沢栄一と渋沢栄一が一橋家に仕えることになりました。与えられた役名は奥口番というもので、奥の口の番人です。係りの役人に案内されて奥口番の詰所に行くと、そこはすっかり擦り切れた畳が敷かれ、ノミとやぶ蚊以外はいないレベルの汚い部屋でした。同じ奥口番の老人がいたので、栄一と喜作が座って挨拶をするのですが、「そなたらはお心得がない。そこに座ってはならんぞ。」と言われます。どうやら、座った畳の目が、筆頭の番人よりも上座だったため、小言を言われたのです。
擦り切れて目が分からない畳があるような場所で、一級半級の差別があるのかというのは馬鹿馬鹿しい、と栄一は思いましたが、新参者ですので、「大変失礼いたしました。」と言って素直に謝罪しました。
現代で言えば、新人サラリーマンが先輩よりも上座に座ったから注意を受けたということになります。誰でもそういう経験は一度はあると思います。サラリーマンの洗礼というやつです。まさに、栄一の立場は新人サラリーマンの様な立場だったので、謝罪するしかありませんでした。
御用談所に勤める
奥口番というのは役名で、栄一と喜作は御用談所というところで働きます。御用談所というのは、一橋家の政庁で、多くの藩が江戸藩邸に置いていた留守居役というものにあたります。用人・物頭・目付と言った人たちが集まり、朝廷・幕府・諸藩に関係する事務を処理するところです。栄一と喜作は、一橋家では新参者でしたが、御用談所は朝廷への接待や堂上家*1との接待、諸藩と事務的な用事を行うことが多い事から、一橋家の中枢の立場にいるような気持ちでいました。
生活状況
栄一は今まで、血洗島村の豪農の家でエリート教育を受けていましたが、逆に言うと温室育ちのお坊ちゃんでした。挙兵計画を中止し、京まで来た道中も、父もらった100両を使って上等な宿に泊まったりしていました。その状況から、一気に庶民と同じ生活をします。何から何まで自分でしなければなりません。しかも、一橋家の猪飼正為から25両の借金をしていたため、返済のために倹約する必要があります。
食事
もちろん、外食もせず自炊しますが、自炊はしたことがありません。ご飯を炊くにも、おかゆの様なものが炊ける日もあれば、硬いご飯が炊ける日もありました。文句を言いながら栄一と喜作は食べますが、それでも慣れてくると良い具合のものが炊けるようにまでなりました。味噌汁の作り方は前から知っていたので、豆腐や菜の花を買って来て味噌汁を作っていました。いつもは、ご飯に味噌汁とたくあんという質素なメニューでしたが、たまに、ごちそうとして、竹の皮で包んである牛肉を買って来て、そこに玉ねぎと一緒に煮て食べていたようです。
住居
住まいは、御用談所の近くの長屋を借りていました。八畳二間の勝手付き、現代で言えば、2DKの長屋です。二人暮らしでは少し狭いと思いますが、お金が無いので仕方ありません。寝具を借りるとお金がかかるので、フトンを3枚だけ借りて、栄一と喜作は背中合わせで寝ていました。成人男性が2人、同じフトンで寝るというのは辛いものがありますが、二人は、「絶対に故郷からお金を工面してもらわない」ということを心に誓っていたため、我慢するしかありませんでした。
ちなみに、夜な夜な、台所にネズミが暴れまわったので、これを退治するのですが、捕まえたものを捨てるのはもったいないといって、焼いて食べたそうです。後年になって、家族と食事中にそれを話すと、「気味が悪い」と言われますが、栄一は、「気味が悪いどころか、脂っこくてなかなかうまかった」と言って、みんなを笑わせたそうで。
借金返済
栄一と喜作は、一橋家の猪飼正為から25両の借金をしていましたが、一生懸命に働き、倹約生活を送りながら、コツコツと返済し、4~5ヶ月のうちに返しました。猪飼は返って来ない金だと思っていたのですが、全額返済してもらったことにビックリし、二人を褒めました。挙兵計画を企てるなど、このころは血気盛んな栄一でしたが、同時に義理堅い一面も持ち合わせていたとも言えます。
編集後記
生まれた家が裕福で、後年は資本主義の父とまで言われる起業家・実業家となり、不自由の無い生活を送っていましたが、極貧生活とまでは行かないものの、ネズミを食べるくらい、かなり困窮した暮らしを送っていました。
参考資料
第1巻(DK010018k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団
2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!
*1:五摂家をはじめとする上級貴族。