渋沢栄一が17歳の時、父の名代で岡部藩の陣屋に出向くことになった時、しかし、そこで待ち受けるのは身分の差と権力を振りかざして理不尽な要求をする代官でした。栄一は、この理不尽な要求に立てつきます。当時ではありえないことでした。
江戸時代の上納風習
身分制度
江戸時代の身分制度はザックリと説明すると、士農工商でした。武士・農民・職人・商人という大きな構成す。この身分制度の定義自体は小学校教育で習うもので、当時生きていた人は実際に士農工商という意識はなく、武士が権力の頂点に立ち、農村に住んで農業を営んでいる農家がいて、都市部に職人が大工などの肉体労働者と卸売や小売りを営む商人がいるという状態でした。
ただし、後に政商と言われる商人によって生殺与奪を握られている武士がいるなど、一部の商人は力を持っていました。
上納という風習
現代ではなかなか考えられませんが、上納という風習が一般的でした。例えば、大名家で冠婚葬祭などがあると、農民や商人は大名にお金や生産品を上納していました。そして何かしらの見返りは求めません。農民や商人が自発的に上納するのではなく、大名家が大儀を振りかざして上納を強制しています。権力構造の下位に位置する農民や商人は逆らえません。
江戸時代は、後に福沢諭吉が述べた官尊民卑と概念が無意識的に根付いており、国家権力(官)が尊いもので、農民・職人・商人などの民間の人々(民)は卑しいということが、社会の共通認識でした。もし武士に逆らえば、最悪、取り潰しや追放などの処分が下ります。武士なら何でもアリということです。現代で言うと、上司に逆らって左遷やクビになるようなものです。
栄一の意地
お代官様のありがたい言葉
栄一が17歳のある日の事。岡部藩から村々の御用達農家に、「岡部陣屋に来るように」というお達しがありました。
御用達と言うのは、藩から苗字帯刀を許された名誉ある農家です。その代わりに、事あるごとに上納を求められます。苗字帯刀と引き換えに年貢の他にもお金を払えということです。しかも、いつどのタイミングで言われるのかは分かりません。
「お姫様が嫁入りする」
「お殿様に子供が生まれた」
「お殿様の子息が元服した」
「お殿様の先祖の法要だ」
「何かイベントするわ」
などなど。「お前、御用達になれるくらい稼いでいるから、それだけお金を上納しろ」と藩が言います。つまり金づるです。しかも、それを平然と、至極当然に。これほど迷惑な話はありません。
渋沢家は父・渋沢美雅(市郎右衛門元助)が風邪で行けなかったため、栄一が名代として出ることにし、父と同年代の今井紋七や小暮磯右衛門らと一緒に、岡部陣屋に行きました。そして、岡部陣屋でお代官様が言います。
「この度、お姫様が嫁入りされる。嫁入りは何かとお金がかかるので、御用達の家に御用金を申し付ける。嫁入りはとてもおめでたい事であるから、その御用金を納めるのは、そなたらにはこの上ない名誉である。」
簡単に言えば、「嫁入りでお金足りないけど、おめでたいから、善意でお前らが払え。」と言っているのです。暴論です。どうですか?もしあなたの上司が「社長の娘さんが結婚するから、みんな結婚式のお金出して。出席なし、引き出物なしだけど、これは名誉なことだから。」と言ったら。ふざけてると思いますよね?普通なら断ると思います。でも、江戸時代はそんなこと通用しません。武士が権力構造の頂点なので、農民は従うしかありません。…え?現代でもそんなことあります?もしそうなら、その会社は辞めたほうが良いですよ。
栄一、逆らう
さて、お代官様のありがたいお言葉を頂いて、栄一の周りにいた大人たちは「ははー」と言ってありがたく承ります。武士が絶対なので、従うしかないのです。しかし栄一はイエスとは言いません。栄一はこう言います。
「私は父の名代で参りました。このことについては、帰宅後に父に伝えます。この話(お金を払う話)、お受けする場合は、後日改めて出頭いたします。」
今井と小暮は、「おい、栄一、やめとけ!」と注意しますが、栄一は頑なに聞きません。これを聞いたお代官様、怒ります。
「この不届き者め、お上の御用を何だと思っている!これしきの事が即答できないで、何が親の名代で参りましただ!」
現代だと、「このお代官様、何言ってるの?」と思うかもしれませんが、藩からの御用があると逆らえない時代で、御用金は下々のものが支払って当然、常識なのです。それに口答えした栄一に対して怒るのも、普通のお代官様の反応です。それに対して栄一は「父に聞いてから回答する」、お代官様は「即答せよ」と言って、お互いが押し問答になります。そしてお代官様はこう言います。
「お前はもう17歳だったな。教養もあり、剣術も腕があると聞くから、利口であろう。もう女郎も買うような年齢だろう((女遊びも覚えたか?という意味。。御用を果たせば、世間に対しての名誉も上がる。なのに、家に帰って父に伝えるとお前は言う。300両や500両を払うくらい、何でもないことくらいお前にはわかるだろう。父が承知しないと言うのであれば、こちらが後から何とでも言い訳するから、ここで承知して、家に帰ってから「承知してきました」と父に言え。」
お代官様は、理不尽極まりないこと言います。それでも栄一は即答を断り続けます。そんなことが続き、お代官様は遂に根負けし、栄一は帰路につきますが、栄一の心はお代官様のおかげで、怒りが収まりません。
帰宅して、事の顛末を父に話すと、「それは仕方のない事だから、明日承ってこい」と言われ、翌日、しぶしぶながらも岡部村にいって500両納めて来ました。
栄一の心に残ったもの
この一件で栄一の心に残ったものがあります。それは「官尊民卑を打破する」ということです。権力を振りかざして理不尽を通そうとするお代官様。権力構造の上位に位置する武士という立場から、あることない事を言って、栄一を侮辱しました。後年、栄一が、
「実際親が無かつたなら、擲り飛ばして出奔したかも知れぬ。」
―雨夜譚会談話筆記 下・866ページ~867ページ
と語っている様に、相当、屈辱的だったのでしょう。このことが、百姓をやめようと栄一の心に残り、青年時代に尊王攘夷の志士として育っていくのでした。
編集後記
この話は江戸時代の話ですが、現代でも同じようなことがあると思います。「無理が通れば道理が引っ込む」という言葉がある様に、筋論が通用しない場面が多々あります。立場を利用して、強引に物事を進めようという人達ですね。政治家、経営者、管理職、教師、親…人間社会には立場的な上下関係があるので仕方のないことですが、立場が上の人間が立場を振りかざして、立場が下の人間を虐げる。時代は変わっても、人間の本質は変わりませんが、栄一の様に、道理を曲げずに物事を進めれば、必ず後で評価されるでしょう。
尚、大河ドラマ『青天を衝け』では、お代官様は利根吉春(演・酒向 芳さん)という名前で登場しています。
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参考資料
第1巻(DK010007k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団
2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!