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とても「農家」とは言えない環境で育った渋沢栄一

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農民から武士に出世し、明治政府で財政政策を打ち立て、実業家になってからは多くの会社の設立に携わった渋沢栄一。「農民から武士に出世」というと、一発逆転のサクセスストーリーに聞こえますが、実は、とても農家とは言えない環境で育ったのです。

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富裕農家の渋沢家

戦国時代から続く渋沢家

渋沢栄一が生まれた渋沢家は、武蔵国の榛沢郡血洗島村にありました。現在の埼玉県深谷市血洗島です。渋沢家は血洗島村の成立期(戦国時代の天正ごろ)から存在する農家の一つで、代を経るごとに分家を作っていき江戸時代の天保期(1831年~1845年)には、渋沢家は10数軒の家屋がありました。

渋沢家の分家はいくつかあり、渋沢栄一の生まれたのは宗家である「中の家」(なかんち)と呼ばれる家でした。しかし、渋沢栄一の父・渋沢美雅(市郎右衛門元助)は宗家の出身ではなく、渋沢家「東の家」の三男です。東の家の三男が宗家の婿養子に入ったので、栄一は「東の家」の人間とも言えます。

栄一の父・美雅が財を成す

さて、渋沢家「東の家」の三男・渋沢美雅が、渋沢家宗家の「中の家」に婿養子に入り、渋沢美雅の代で大きく飛躍します。「中の家」は水田を持っていない小さな農家でした。さて、どうしたものかと考えた美雅は、藍玉の製造販売を行います。血洗島村は元々は水田が少なく、家畜を飼って畜産を営んでいた農家も少ない村のため、養蚕や藍栽培が代表的な農産物でした。

そして、美雅が始めた藍玉の製造販売が大ヒット。年間で一万両*1の売上高があった年もありました。

藍ままでも染料として使用できますが、葉のままだと運搬に不向きなので、加工して運べるようにします。藍の葉を乾燥させて寝かせ、水で湿らせてから容器に入れて混ぜ、三ヶ月くらい発酵させて、また乾燥。そうすると、土みたいになるので、それを臼で突き固めて、小さな塊にしたものが藍玉です。四国の阿波藩(徳島県)から江戸時代末期に全国に伝わったとされています。

この様に、既に栄一の父・美雅の代で、いわゆるお米や野菜を作って自然と戦うような農家ではありませんでした。この藍玉ビジネスが成功し、渋沢家宗家「中の家」は血洗島村でトップクラスの裕福な農家になりました。

また、美雅は名字帯刀を許されて、藩主御用達となっています。その他にも、雑貨屋や質屋業も行っており、もはや農家という範疇を超えていました。渋沢栄一が凄いのは後年の業績で分かりますが、栄一の父が既にハイスペックな能力の持ち主なので、栄一はサラブレッドと言えます。

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渋沢家がもたらした栄一への影響

農家だけど商売していた家

栄一の父・美雅は藍玉の製造販売で大成功を治めました。栄一は若い頃、父の事業を手伝って藍玉の販売を行っています。当時の一般的な農家では体験出来ないことを、若いうちから体験しています。

当時、江戸時代ですから、士農工商という身分に分かれています。渋沢家は藍玉の製造と販売を行っていたので、農家でありながら、その実態は商家でした。自分で作って自分で売る。現代で言うと、6次産業とも言えるような農家です。他の農家では、ほぼありえません。栄一は他の農家に生まれた同世代の人間よりもアドバンテージを持っていたとも言えます。

武家も顔負けな教育環境

栄一は幼少の頃、渋沢家の分家の人間からも色々なことを学びます。というか、渋沢一族の教育環境が凄すぎます。

まず、栄一の従兄弟である尾高惇忠は、血洗島村の隣の下手計村で17歳で塾を開いており、既にその時点でハイスペックな持ち主なのですが、栄一はそのハイスペック従兄弟の塾で学んでいました。

また、栄一の父・美雅の兄で、栄一の叔父にあたる三代目渋沢宗助(徳厚)も、養蚕技術書を書くほどの農業知識を持ち、神道無念流の剣術の使い手、そして書法の私塾を開いてしまうほどのスーパーマンです。栄一は幼少期に、徳厚が開いた私塾で書法を学びます。

剣術も、神道無念流の使い手・大川平兵衛に弟子入りして、神道無念流の免許皆伝まで極めた、栄一の従兄・渋沢新三郎(叔父・三代目渋沢宗助(徳厚)の息子、後の四代目渋沢宗助(長徳))の元で腕を磨きます。

そして、父・美雅の出身である「東の家」から独立して「古新宅」と言われた、栄一の大叔父・渋沢仁山は医術・儒学を学び、塾を起こしています。とんでもないハイスペックな一族です。

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編集後記

農家の出自で、「日本資本主義の父」とまで呼ばれた渋沢栄一。

これだけ聞くと、一発逆転の大成功サクセスストーリーの様に聞こえますが、実家がとても裕福で、超英才教育を施されて育ちました。現代で、これだけの習い事をさせている教育熱心な家庭は裕福な家しかなさそうですね…。ですが、渋沢家はとても農家とは言い難い、商家の財力を持っていました。その様な環境で、武家の超エリート教育を受けたのですから、後年の業績は当然と言えば当然なのかもしれません。

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参考資料

第1巻(DK010003k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

『父 渋沢栄一』(実業之日本社文庫)

『渋沢栄一』(人物叢書)

2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!

*1:1両の価値は時期や相場によっても異なりますが、一万両は約10億円に相当するとも言われています。