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【信長の野望】河尻秀隆はもう少し評価されても良いのでは?

河尻秀隆。元服から織田家に仕え、織田信長からの信頼も厚く、織田信忠の後見役として信忠軍団を実質的に統率しており、武田攻めの後に甲斐一国を任される功績を上げています。しかし、信長の野望シリーズでの評価はイマイチ。今一度、信長の野望シリーズでの河尻秀隆の適正値を考察してみたいと思います。

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信長の野望シリーズでの河尻秀隆

信長の野望シリーズでの河尻秀隆は、イマイチ…というかかなり低い能力です。ぶっちゃけると、シリーズを通して使えるような武将ではありません。

まあ一言で言えば、微妙な能力値ですね。『天道』以前は知略と政治が目も当てられないレベルでした。『創造』で再評価されていますが、第一線で活躍出来るレベルとは言えません。弱小大名でスタートする場合、序盤は重宝するかなあと言った感じ。とは言え、河尻秀隆は最初から織田家なので、人材豊富な織田家では、まず使いどころがないです。

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河尻秀隆の微妙な評価

何故、河尻秀隆が信長の野望で評価されていないのかと言うと、実は河尻秀隆の活躍がそれほど資料に残っていません。武勇に関するエピソードや善政を敷いたエピソードが残っていないため、信長の野望でも評価が難しいといったところでしょう。

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各能力の再評価ポイント

では再評価してみます。

統率

59→80(+21

秀隆は信長の息子・信忠の補佐役として、信忠軍団の面々を実質的にコントロールしていました。甲州征伐の際、秀隆は信長から「功を焦る信忠や、血の気の多い武将をコントロールするように。」と命じられています。信長がそのように命じるということは、信長の信頼が厚く、秀隆の能力を高く評価している証左です。

また、信忠軍団のメンバーも手のかかる武将が多く、その中の一人が鬼武蔵と言われた森長可です。信長でさえも、長可に関しては(命令違反や独自行動を繰り返すので)一目置いていた(というか関わらない様にしていた節もある)ので、その長可をコントロールしろと言うのは、いささか無茶な気もします。結果的に、手のかかる武将たちを上手くコントロールして甲州征伐は成就していますので、秀隆の人望・統率能力はかなり高かったのではと考えられます。

武勇

68→78(+10

秀隆は織田家の黒母衣衆筆頭です。つまり織田信長の親衛隊長みたいなもの。黒母衣衆には佐々成政・蜂屋頼隆・毛利新介、赤母衣衆には前田利家・毛利秀頼・塙直政が名を連ねていました。その中の筆頭と言えば、猛者の中の猛者と言えます。

また、織田四天王クラスとまではいきませんが、美濃攻めや伊勢攻め、若江城の戦いなどで武功を上げているため、武勇は上方評価しても良いかなと。

知略

57→57(±0)

信長の弟・信勝(信行)や、本願寺方に内通していた高宮右京亮を誅殺したこと、また、信忠軍団を実質的にコントロールしていたので、それなりに智謀を有していたのだと思います。更に、武田攻めの際に武田家臣に離反するように調略を行っていたことから、『創造』以降で知略は大幅に評価されています。知略についてはコーエーの評価を支持します。

内政

60→60(±0)

内政に関しても秀隆のエピソードがあります。岩村城で城下町を作るため、岩村川から水を引いて、用水路を作る様に命じます。これは「天正疎水」と呼ばれる用水路で、岩村城下町の生活に大きく貢献したと言われています。この「天正疎水」は、観光でインパクトのある用水路ではありませんが、城下の人々の生活を支え、現在も生活用水として残っています。

一方、秀隆の内政手腕を疑問視する説もあります。確かに、本能寺の変の後、甲斐国内で武田家旧臣による一揆が発生しており、それが原因で秀隆自身、命を落とすことになりますが、甲斐に入ってから2ヶ月しか経ってない状態で信長が横死し、その混乱に乗じて一揆が発生したので、仕方ないと言えば仕方ないです。

恐らく、コーエーの評価としては、「天正疎水」と甲斐一揆を防げなかったことを相殺した評価になっていると思います。もう少し内政値が上でも良いかなと思いますが、「天正疎水」だけでは少しインパクトに欠けるため、コーエーの評価を支持します。

外政

58→58(±0)

外政についてはコーエーの評価を支持します。というのも、それほど実績が残っていないためです。成功・失敗のエピソードがあれば多少は評価出来たのかもしれません。また、コーエーの評価の根拠が不明なため、とりあえずはコーエーの評価を支持するという形で。

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編集後記

河尻秀隆に関する資料が少ないのと、末期の不運が重なった結果、『創造』以降は、そこそこの能力値に落ち着いたと言えます。

『創造』以降で能力見直しがされたのは、『天道』以前で低すぎたからと考えられます。確かに、羽柴秀吉・明智光秀・丹羽長秀・柴田勝家・滝川一益などの軍団長レベルと比べると見劣りするかもしれません。また、軍団長レベルよりも、軍団長を補佐する役目の方が適任だというのが、信長の判断かもしれません。とは言え、黒母衣衆筆頭の経験があり、信忠軍団の実質的な指揮者ですから、相当な実力の持ち主であることは確かです。

一方、後世に残るような功名についてはインパクトに欠けているとも言えますし、秀隆が亡くなる原因についても、信長の野望シリーズでの評価を落としている要因とも考えられます。

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