かつて、プロ野球チームの親会社が鉄道会社であることは珍しくありませんでした。しかし、2021年現在、プロ野球チームの親会社が鉄道会社なのは、阪神タイガースと埼玉西武ライオンズの2球団のみ。
経営都合によってプロ野球チームを手放すこともあれば、その他の理由もあります。今回は、どうして鉄道会社がプロ野球チームを手放したのかを一緒に見て行きましょう。
【注意】ちょっと長いので、気になる方は、目次からひいきの球団だけチェックしてみて下さい。
鉄道会社のプロ野球チーム所有の歴史
鉄道会社がプロ野球チームを所有すると言うのは、阪急電鉄の小林一三の発案から始まったものです。沿線に娯楽をつくり、旅客輸送を増やすという戦略です。その歴史の話をすると、当記事では書き切れないため、年表形式で掲載します。
プロ野球全体での主な出来事や、鉄道会社が参入・撤退をした部分をピックアップしています。
年 | できごと | 備考 |
1920年 | 合資会社日本運動協会が設立 | |
1921年 | 天勝野球団が設立 | |
1923年 | 日本運動協会、天勝野球団が解散。 | 関東大震災の影響。本拠地の芝浦球場が関東戒厳司令部(陸軍)により徴発され、その後、返還してもらえず。 |
阪神急行電鉄が日本運動協会を宝塚運動協会として引き継ぐ | 阪神急行電鉄(阪急)がプロ野球参入。 鉄道会社として初のプロ野球参入。 |
|
1929年 | 宝塚運動協会が解散 | 不採算事業の切り離し。 |
1934年 | 東京巨人軍(現・読売巨人軍)設立 | 京成電鉄、阪神電気鉄道、東急も出資。ただし、球団運営に関わっていない。 |
1935年 | 大阪タイガース(現・阪神タイガース)設立 | 阪神電気鉄道がプロ野球参入。 |
1936年 | 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)設立 | 後に名古屋鉄道が経営参加。 |
東京セネタース設立 | 旧西武鉄道が資金援助。 | |
名古屋金鯱軍設立 | ||
阪急軍(現・オリックスバファローズ)設立 | 阪神急行電鉄(阪急)がのプロ野球参入(二度目)。 | |
大東京軍設立 | ||
1937年 | 後楽園イーグルス設立 | |
1938年 | 南海軍(現・福岡ソフトバンクホークス)設立 | 南海電鉄がプロ野球参入。 |
1941年 | 大洋軍設立 | 東京セネタース(翼軍)と名古屋金鯱軍が対等合併して誕生。 |
1943年 | 西鉄軍設立 | 西日本鉄道がプロ野球参入。大洋軍が解散し、事業譲渡。 |
西鉄軍が1シーズンで解散 | 西日本鉄道がプロ野球から撤退(一度目)。戦争による資金難、選手徴兵による運営難。 | |
1944年 | 南海軍が近畿日本軍に改名 | 南海鉄道と関西急行鉄道が合併し、近畿日本鉄道が誕生したことに伴う措置*1。 |
1945年 | 太平洋戦争激化によりプロ野球中止。 | 終戦後に再開 |
1946年 | セネタース(現・北海道日本ハムファイターズ)設立 | 阪急ブレーブスが戦前に使用していたユニフォームを着るくらい資金難。 |
ゴールドスター設立 | ||
1947年 | 東京巨人軍が読売巨人軍に改名 | 読売新聞社が東京巨人軍の全株式を取得し、京成電鉄、阪神電気鉄道、東急の出資が無くなる。 |
セネタース売却、東急フライヤーズ設立 | 東急がプロ野球参入。 | |
グレートリング(当時・近畿日本軍、旧・南海軍)が南海ホークスに改名 | 南海電鉄が近畿日本鉄道からの独立したことに伴う措置。 | |
1948年 | 東急フライヤーズが急映フライヤーズに改名 | 大映が東急フライヤーズの経営に参加。 |
1949年 | セントラル・パシフィックの2リーグ制に移行 | |
毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)設立 | ||
大洋ホエールズ(現・DeNAベイスターズ)設立 | ||
西鉄クリッパーズ(現・埼玉西武ライオンズ)設立 | 西日本鉄道がプロ野球参入(二度目)。 | |
近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)設立 | 近畿日本鉄道がプロ野球参入。 | |
広島カープ(現・広島東洋カープ)設立 | ||
国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)設立 | 国鉄(現JR)が株式会社国鉄球団を介してプロ野球参入。 | |
西日本パイレーツ設立 | ||
急映フライヤーズが東急フライヤーズに改名 | 大映が東急フライヤーズの経営から撤退。 | |
1951年 | 中日ドラゴンズが名古屋ドラゴンズに改名 | 名古屋鉄道が経営参加。 |
西日本パイレーツが解散、西鉄クリッパーズに吸収され、西鉄ライオンズに改名 | ||
1954年 | 名古屋ドラゴンズが中日ドラゴンズに改名 | 名古屋鉄道が経営から撤退(理由不明)。 |
高橋ユニオンズ設立 | ||
東急フライヤーズが東映フライヤーズに改名 | 球団保有は東急、球団運営は東映興業。 | |
1958年 | セ・リーグ、パ・リーグともに6球団の合計12球団に再編 | 結果的に、鉄道会社保有のプロ野球チームは存続。 |
1962年 | フジサンケイグループが国鉄球団(国鉄スワローズの親会社)と業務提携 | 球団譲渡を前提とした業務提携。 |
1964年 | 東映が東急グループから離脱 | ただし、東映フライヤーズは引き続き東急(東急ベースボール倶楽部)と東映が共有。 |
国鉄スワローズの経営権がフジサンケイグループに移譲。翌年、サンケイスワローズに改名。 | 国鉄がプロ野球から撤退。金田正一が巨人に行ったため、球団経営のやる気を無くす。 | |
1972年 | 西鉄ライオンズ売却、太平洋クラブライオンズに改名 | 西日本鉄道がプロ野球から撤退(二度目)。不採算事業の切り離し。 |
1973年 | 東映フライヤーズが売却、日拓ホームフライヤーズに改名 | 東急ベースボール倶楽部が東映フライヤーズを東映に譲渡し、東映が東映フライヤーズを日拓ホームに売却。東急がプロ野球から撤退。不採算事業の切り離しと、東急社長(五島昇)が野球を嫌っていたため。 |
1976年 | 国土計画が大洋ホエールズの株式45%を取得 | 西武グループの国土計画が45%を出資。球団の運営というよりも、デベロッパーとしての経営参入。 |
1978年 | 国土計画がクラウンライターライオンズを買収、西武ライオンズに改名 | 西武グループがプロ野球に参入しているが、厳密には西武鉄道自体が西武ライオンズを所有していたわけではない。 |
国土計画が保有していた大洋ホエールズの株式45%を売却 | 国土計画の野球協約違反を回避するため。 | |
1988年 | 阪急ブレーブス売却、オリックス・ブレーブスに改名 | 阪急電鉄がプロ野球から撤退(二度目)。不採算事業の切り離し。 |
南海ホークス売却、福岡ダイエーホークスに改名 | 南海電鉄がプロ野球から撤退。不採算事業の切り離し。 | |
2004年 | オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併 | プロ野球再編問題。オリックスが近鉄を吸収する形で合併。近畿日本鉄道がプロ野球から撤退(不採算事業の切り離し) |
東北楽天ゴールデンイーグルスが設立 | ||
福岡ダイエーホークス売却、福岡ソフトバンクホークスに改名 | ||
2006年 | 西武ライオンズの経営権がコクドからプリンスホテルに変更 | この時期は西武グループで色々あったが、同じ西武グループのプリンスホテルが経営を継続。 |
阪急・阪神が経営統合 | 村上ファンドのあれ。結果的に、阪神電気鉄道が阪急・阪神HD傘下に。阪神タイガースの親会社は継続して阪神電気鉄道となるも、資本的には間接的に阪急が三度目のプロ野球参入。 | |
2008年 | 西武ライオンズの親会社が西武鉄道に変更 | 西武鉄道がプロ野球参入(西武グループとしては1978年から継続しているが、色々あった。) |
この様に、鉄道関連だけにスポットを当ててみても、色々と出て来るわけです。
鉄道会社がプロ野球チームを手放した理由は?
年表上では、鉄道会社がプロ野球チームを手放した理由を簡潔に記載しているため、ここからは原因の詳細を、各鉄道会社ごとに説明します。
阪急電鉄
初めてプロ野球チームを所有した鉄道会社で、2回(実質的には3回)の参入歴があります。
宝塚運動協会
宝塚運動協会は日本運動協会を引き継いだものとなりますが、1929年に解散します。
解散の原因は、経営難による不採算事業の切り離し。人気があった大阪毎日新聞の社会人野球チーム「大阪毎日野球団」が解散し、集客が見込める対戦カードを失ったことも影響しています。
阪急ブレーブス
1936年に設立された阪急軍は、東京巨人軍と大阪タイガースの後に設立されたプロ野球チームです。設立当初は優勝から見放されていましたが、1960年代からは強豪球団として人気も上昇。リーグ優勝10回・日本一3回を達成していますが、1988年にオリエント・リース(オリックス)に球団を売却します。
売却の原因は、球団の収益悪化による不採算事業の切り離し。阪急ブレーブスは世界の盗塁王・福本豊などの人気選手もいましたが、当時のプロ野球はセ・リーグの人気が高く、同じ在阪球団である阪神タイガースが圧倒的な人気には叶いませんでした。
余談:3回目のプロ野球参入
村上ファンドによる阪神電鉄買収の際に、阪急がホワイトナイトとして立ち上がり、阪神グループは阪急阪神HD傘下になりました。
その時に、もちろん、阪神タイガースも阪急阪神HD傘下になります(球団としての阪神タイガースは存続)。そして、NPBは阪急を新規参入扱いとして、保証金・手数料あわせて30億円の納入を取り決めます。村上ファンドの一件があったことや、阪急電鉄が阪急ブレーブスを手放した過去もあり、すぐに売却するのではないかと疑念からの取り決めですが、阪急としては親会社・阪神電鉄のホワイトナイトを買って出たという経緯から、結果的に29億円減額した1億円を納入しています。
南海電鉄
1938年に南海電鉄により南海軍が設立。球団自体は1988年のダイエーに売却するまで、南海が所有していました…とは厳密には言いにくいです。
1944年に南海電鉄は関西急行電鉄と合併して近畿日本鉄道になっています。一時的に球団の資本は近鉄になり、名称も近畿日本軍となりますが、球団の系譜としては南海のままです。
1947年に南海電鉄が近鉄から独立し、近畿日本軍は南海ホークスに改名し、改めて南海が純粋に南海電鉄がプロ野球チームを所有することになります。
南海ホークスは、稀代の大打者・名捕手である野村克也の活躍もあり、パ・リーグの常勝球団として一時代を築きます。しかし、人気低迷(というよりも阪神タイガースに人気が集中した)により収益は改善されず、1988年に南海ホークスはダイエーに売却。
売却の原因は、阪急と同様、球団の収益悪化による不採算事業の切り離し。ただし、南海電鉄の場合は、難波再開発への資金投入があります*2。
西日本鉄道
西鉄軍
1943年に大洋軍が西日本鉄道に売却され、西鉄軍を設立しますが、1シーズン戦って解散します。
解散の理由は、戦争激化による収益減と、選手や球団職員が徴兵されたためにチーム運営が出来なくなりました。
西鉄ライオンズと黒い霧事件、そして西武鉄道の虚偽
1949年に西鉄クリッパーズを設立し、2度目のプロ野球参入。その後、西鉄ライオンズに改名します。「神様、仏様、稲尾様」で有名な大投手・稲尾和久で有名な西鉄ですが、1969年の黒い霧事件が原因となって観客動員は大幅に減り、1972年に売却し、西鉄ライオンズは太平洋クラブライオンズに改名します。
売却の原因は、球団の収益悪化による不採算事業の切り離し。収益悪化自体は阪急と南海の理由と同じですが、黒い霧事件が尾を引いたことが原因です。
ちなみに、太平洋クラブライオンズはクラウンライターライオンズを経て、国土計画(コクド)が買収して西武ライオンズになり、この西武グループに所属しますが、西武鉄道の資本ではありません。西武ライオンズが西武鉄道の子会社になるのは2008年。コクドが西武を手放したのも西武鉄道の有価証券報告書虚偽が原因ですので、ライオンズは球団経営とは別のところで2度もダメージを受けています。歴史は繰り返す…
東急電鉄
東急は1947年にセネタースを買収し、東急フライヤーズに改名。
1948年に大映が東急フライヤーズに参加しますが、大映は1949年に撤退。1954年には東映フライヤーズに改名して、球団名から東急の名前が消えますが、保有は東急電鉄・運営は東映という体制になります。1964年に東映が東急グループから離脱しますが、東映フライヤーズは引き続き東急電鉄保有・東映運営の状態です。
しかし、東急電鉄は1973年に東映フライヤーズを所有していた東急ベースボール倶楽部を譲渡。そのまま東映興業が東映フライヤーズを日拓ホームに売却し、東急はプロ野球から撤退することになります。
原因は、球団の収益悪化による不採算事業の切り離し。ちなみに、東急電鉄社長の五島昇が野球を嫌っていたとも言われています。
国鉄(現JR)
国鉄は国鉄法によって直接プロ野球チームを所有することが出来なかったのですが、時の国鉄総裁が野球ファンであったことから、国鉄の外郭団体である財団法人交通協力会がメインとなり、株式会社国鉄野球団を設立。1949年に国鉄スワローズを設立してプロ野球に参入します。
しかし、経費の増大と、新人の契約金高騰により、戦力補強がままならず、成績は低迷。三河島事故が遠因となり、国鉄スワローズはフジサンケイグループの業務提携を受け入れ、資金面のバックアップを受けます。そして1964年に内輪揉めによって、実質的にフジサンケイグループとなっていた国鉄スワローズは譲渡されます。
原因は、エースであった金田正一の移籍問題。監督と金田がシーズン中に不仲になり、「監督が続投するなら移籍、解任するなら残留」という発言をしました。これにより、国鉄側は監督解任を主張するも、監督解任のスクープをマスコミ他社に先越されたことから、監督留任を決定(他社のスクープを潰した格好になる)。これにより、金田はFA制度の前身である10年選手制度の権利を行使して、巨人に移籍。金田が移籍した結果、国鉄側は経営意欲を失い、あっさりとフジサンケイグループに経営権を譲渡しました。
近畿日本鉄道
南海のところでもお話しましたが、1944年~1946年まで、近鉄が一時的に南海ホークスを保有していました。プロ野球人気もあり、1949年に近鉄は近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)を設立して、改めてプロ野球に参入。
個性豊かな選手が多かったのですが、阪急・南海と同じく、人気は低迷。2001年に代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランでリーグ優勝しますが、経営は改善されず、2004年にこれまた経営不振のオリックス・ブルーウェーブとの合併の話が出てきます。
いわゆる、プロ野球再編問題で、オーナー層と選手会との溝が深まり、プロ野球史上初のストライキも決行されました。「たかが選手が」という迷言もこの時に生まれました。色々あったのですが、最終的にはオリックスに吸収合併される形で大阪近鉄バファローズが消滅し、楽天が参入しています。
原因はやはり、球団の収益悪化による不採算事業の切り離し。当時の近畿日本鉄道社長から「回収見込みがない」とまで言われました*3。
番外:名古屋鉄道
名鉄はプロ野球チームを所有したことはありませんが、中日ドラゴンズの経営に参加したことがあります。
1951年から名鉄と中日新聞で、交互に隔年経営することが取り決められました。ただし、名鉄は1951年と1953年の2年だけで、1954年以降は中日新聞が経営し、1953年限りで名鉄はプロ野球経営から撤退しています。理由は不明。
編集後記
私は1999年から横浜ベイスターズファンなのですが、一度も優勝を見てません。2017年にクライマックスシリーズ突破して日本シリーズ出てるけどあれは違う。リーグ優勝して日本シリーズ出て貰わないと。
.