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一橋家に仕官する渋沢栄一

平岡円四郎のツテで通行手形を貰い、京へ向かった渋沢栄一と渋沢喜作。父から貰った100両は散在したことで、そろそろ財布事情が怪しくなってきます。更に、挙兵計画の一件がきっかけで、幕府の調査が及んでくることになります。

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資金が尽きる

渋沢栄一と渋沢喜作は平岡円四郎のツテで京へ向かうのですが、江戸と京へ向かう道中で父から貰った100両のうち、30両を使ってしまいます。現代でも江戸時代でも旅はお金がかかりますので、仕方ありません。そして、京へ着いてから、宿代や交際費に使い、伊勢神宮への参詣でもお金を使ったため、いよいよ懐事情が危なくなってきます。三条小橋脇の茶屋久四郎の家である「茶久」という上等な宿に泊まっていましたが、宿の主に掛け合って、食事が三食だったのを朝晩の二食にして、宿代を1泊400文にしてもらいました*1

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長七郎からの手紙

さて、少しばかりひもじい思いをする栄一と喜作ですが、それでも倒幕を画策していました。京に着いてからというもの、志士たちとの交流の中で、世の中の情報を収集していました。しかしながら、どうも時勢は公武合体*2の勢いが優勢の模様です。そこで、故郷の尾高長七郎に、「いずれ幕府は外交問題で息詰って倒れるかもしれない。今のうちに京で倒幕を促していこう」という内容の手紙を送ります。そして、長七郎から手紙の返事が来たので、ワクワクしながら読んでみましたが、そこにはとんでもないことが書いてました。

尾高長七郎からの手紙の内容

「中村三平と福田滋之進と一緒に江戸に向かう途中で、突発事件を起こした。その結果、三人とも捕まってしまい、江戸の伝馬町の牢屋に入れられた。その時に、栄一と喜作が送ってくれた手紙を持っており、その手紙が幕府の役人に押収されてしまった。」

長七郎は、栄一と喜作の手紙を読んで、京へ向かおうとしたところ、事件を起こして捕まり、その時に「京で倒幕を促していこう」という内容の手紙を幕府の役人に押収されてしまったのです。

突発事件とは、長七郎が飛脚風の男とすれ違った時に、長七郎が刀で斬り殺した事件です。長七郎が事情聴取で「一匹の狐が飛びかかって来たので、思わず抜き打ちにしたら、それが人間だった」と言っています。一種の精神異常による幻聴の様なもので、長七郎が挙兵計画を必死で止めた後、天を仰いで号泣した時に精神異常の兆候があったと栄一が語っています。長七郎は5年に渡って獄中で過ごすことになり、恩赦によって出獄しますが、1868年11月18日に亡くなりました。

栄一と喜作はショックでした。でも、こうなってしまっては仕方がありませんので、長七郎たちの救出を考えますが、どうも知恵が浮かびません。そして、倒幕を促そうという手紙が幕府の手に渡ったので、現代で言うと、テロリストの極秘計画が、国や警察にバレたようなものです。栄一と喜作の身も危なくなります。そして、長七郎の手紙が届いた翌朝、平岡円四郎から「相談したいことがあるから、すぐに来てくれ」という内容の手紙が栄一と喜作に届きます。二人は心中察、すぐに平岡円四郎を訪ねます。

長七郎が牢屋の中からどうやって手紙を出したかというと、牢屋の監視役に賄賂を出したと考えられますが、確証はありません。

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生きるか、死ぬか

棚からぼたもちのコネ採用

平岡円四郎を訪ねた栄一と喜作は、平岡から早速尋ねられます。

平岡「君たちは、今まで人を殺したことはあるか?金や物を盗んだことはあるか?もしあるのなら包み隠さず話して欲しい」

開口一番、かなり物騒な質問です。平岡曰く「志士と名乗る人間は、国のためといって、人を殺したり、金を盗んだりするから、心配になって聞いたのだ」と言います。栄一は、「そんなことは無いです。」と答えます。しかし、高崎城を乗っ取る挙兵計画を企てていたということを話すと都合が悪そうなので伏せておきます。平岡は続けてこう言います。

平岡「しかし、何か心当たりがあったんじゃないのか?実はな、幕府から、君らが本当に私の家来なのかと聞かれている。もし、家来で無いのであれば、取り調べたいことがあるから、すぐに両名を引き渡せと言われている。私と君たちの間柄だ。悪い様にはしないから、正直に話して欲しい。」

平岡にこう言われた栄一と喜作は「この人なら全て話しても大丈夫じゃないか?」と目で会話します。いわゆるアイコンタクトです。そして、長七郎が牢屋に入れられた件、不穏な手紙が幕府に押収された件を話します。それを聞いた平岡は、

平岡「なるほど、そういうことか。もし、君たちを幕府に引き渡せば牢屋に入れられたりすれば、間違いなく病気になって、そこで命を落とすかもしれない。しかし、助かる方法は一つだけある。本当に私の、いや、一橋家の家来になってしまうことだ。どうだろう、慶喜様に仕えてみる気はないか?

一橋家は御賄料で暮らしを立てている有様で、人をたくさん抱える、浪士を雇うということは正直難しい。しかし、君たちにその気があるのであれば、私は君たちが家来になれるように尽力しようと考えている。」

と、栄一と喜作に仕官する様に誘います。平岡は二人を気に入っていたので、現代風に言うと、面接や試験無しで内定を出しているようなものです。栄一と喜作にとっては願っても無い話ですが、栄一は、

栄一「出所進退は男子の大事ですので、二人でよく話し合って、明日、お返事させて頂きます。」

と言います。

慶喜に会わせろ!

栄一と喜作は宿に戻って話し合います。一旦持ち帰った仕官話ですが、現実問題として、栄一と喜作の状況は思わしくありません。一橋家に仕官しなければ、江戸の牢屋に入れられるのがほぼ確定という状態。そしてお金もない。かと言って、尊王攘夷の志のもと、倒幕を考えているにも関わらず、徳川御三卿の一橋家に仕えるという事は、命惜しさに身を転じるようなものです。

それでも、喜作は江戸に戻って長七郎たちを助けると言います。栄一はというと、

栄一「ここは一橋家に仕えたほうが有利だ。まず、百姓ではなく一橋家の家臣という立派な身分になる。そうすれば、幕府は手が出せない。そして、一橋家という立場を利用すれば、長七郎を助ける手段が見つかるのではないか。倒幕についても、徳川の内部から働きかける方法もあるかもしれない。」

と冷静になって言います。喜作は栄一に諭されて同意します。そして、仕官するにも条件を付けようと二人で作戦を練ります。

翌日、栄一と喜作は平岡に仕官の返事に行きますが、栄一はこう切り出します。

栄一「我々は天下の志士を持って仕える気であって、決して牢屋に入れられるのが嫌で仕えるのではありません。名君と名高い慶喜様が我々を有能な人材であると見込んで召し抱えて頂けるのであれば、草履とりであろうが、槍持ちであろうが、何でもいたします。そういうことですから、まずは我々の意見書を慶喜様がご覧になってから、召し抱えて頂きたいと思います。」

そう言うと、用意してあった意見書を平岡に渡し、平岡は笑いながら意見書に目を通して「よろしい」と答えます。牢屋に入れられるピンチな状況にも関わらず、自分たちの意見を聞いてから召し抱えよと言うので、大胆に出たものです。栄一の交渉術の上手さが芽生えています。

そして、栄一は更に条件を付けます。慶喜の目の前で意見を言わせてくれと言うのです。これには平岡も困ります。現代で言うと、「会社の社長に採用前に合って会社経営について意見を言わせろ」と言っているようなものです。現代では役員面接や社長面接を設けている会社もありますが、当時、大名にお目通り寝返るのは役職の高い武士か、大名の小姓など、ごく限られた人間だけでした。しかも、慶喜に会わせてもらえないなら、牢屋に入れられても仕官しないとまで言います。平岡は「何とかしよう」と言ってその場をまとめました。こんなにややこしい採用面接はなかなかありません。

慶喜との出会い、そして仕官

数日後、平岡から呼び出しがあり、「近々、慶喜様が馬に乗って出かけるから、その時に目にとまるように自分たちで何とかしろ」と言われました。その当日、慶喜が馬に乗って走っている先を、栄一と喜作は必死に走りました。栄一は太っていたので、相当きつかったかもしれません。それが功を奏したのか、後日、「内御目見得」と称して慶喜に会うことが許されます。そこで栄一は、ここぞとばかりに意見をまくしたてます。

  • 今の幕府は有名無実であって、名君として名高い慶喜の一橋家も共倒れする運命になるかもしれないので、独自の道を進むのが良い
  • 天下を乱そうとする者が多くいるので、天下を乱す者を一橋家に集めてしまえば、他に乱す者がいなくなり、天下が治まる
  • 一橋家に有能な人材が集まれば、様々なことが進歩的になる
  • しかし、幕府が嫌疑の目を向けて、一橋家討伐ということになれば、戦って幕府を倒すしかない

とまあ、色々と難しいことを言いますが、ともかく、「有能な人材を集めて、兵力を蓄え、幕府が攻撃して来たら反撃して幕府を倒す」と言うのが栄一の意見です。

一方の慶喜はと言うと、特に何も言わずにフムフムと聞いているだけでした。平凡な大名であれば「無礼である」と言って放り出すか、その場で斬ってしまうかもしれませんが、慶喜は栄一の可能性に将来を見出したのかもしれません。後日、晴れて、栄一と喜作は一橋家に召し抱えられることになりました。

そして、平岡から「君の名前は地味そうだから、武士らしい篤太夫という名前がよかろう」と言われて、栄一から篤太夫に名前を変えました。

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編集後記

栄一は牢屋に入れられる寸前までピンチになりましたが、平岡という強いコネを最大限に利用してピンチを脱し、御三卿の一橋家に仕官することになります。今まで、血洗島村で不自由なく暮らし、成人して妻子がいるのに挙兵計画を企て、挙句の果てには100両貰って家を出て京に向かうと言った、いわばいいところの坊ちゃんの様な人生を送って来ましたが、25歳で初就職、サラリーマンになったのです。

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参考資料

第1巻(DK010018k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

『父 渋沢栄一』(実業之日本社文庫)

『渋沢栄一』(人物叢書)

2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!

*1:当時の平均的な宿代は250文と言われているため、それでも高い。

*2:朝廷と武家(幕府や諸藩)が手を結び、政治を安定させて、外国の脅威に立ち向かおうという政治運動。栄一や喜作は尊王攘夷(幕府を倒して天皇中心の国家を作り、外国の脅威に立ち向かう)の志を持っていたので、公武合体とは違った考え。