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未遂に終わった渋沢栄一の高崎城乗っ取り計画

外国を排除し、天皇を中心とした国家を作ろうとした幕末の志士たちは全国に数多くいました。渋沢栄一もまた、尾高新五郎に感化され、尊王攘夷の志を持っており、栄一が24歳のころ、壮大な挙兵計画が練られていました。

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挙兵計画の全容

尾高新五郎や渋沢栄一が挙兵計画を立てます。栄一が少年期より学問を教わっていた尾高新五郎に感化され、小さな村で志士が集まり、幕府を打倒しようという志を持って、とんでもない無謀な計画を立てていました。その計画の大まかな内容は以下です。

  • 高崎城を乗っ取る
  • 鎌倉街道経由で横浜に向かう
  • 横浜で焼き討ち

こんな感じに都合の良い挙兵計画を練り上げたのです。こんなことに賛同するのかと疑問に思うかもしれませんが、賛同した志士は少なからずいました。そして挙兵計画のメンバーは次の通り。

  • 主将:尾高新五郎
  • 副将:尾高長七郎、渋沢喜作、渋沢栄一
  • 賛同した志士:真田範之助、佐藤継助、竹内錬太郎、横川勇太郎、中村三平

真田範之助、佐藤継助、竹内錬太郎、横川勇太郎は千葉道場の門下で、志を同じくした者たちです。中村三平は海保漁村に儒学を学んだ時に知り合いました。その他親族等合わせて総勢69人。挙兵と言うには少なく、最初の高崎城を乗っ取りの時点で不可能に近い兵力です。 

高崎城乗っ取り計画

何故、最初に高崎城がターゲットになったかと言うと、「手ごろだから」という理由です。何が手ごろなのかというと、小さい大名(1万石レベル)だと、小さすぎてインパクトに欠け、大きい大名(10万石以上)だと攻略が難しいため、石高7万石レベルだった大河内松平家の居城である高崎城が標的になりました。

高崎城攻略は、南総里見八犬伝の一節にある、里見義実が滝田城を攻略したことを真似て攻略するという戦略を立案します。深夜に、農民を使って城の門を開けさせ、開門したところで一気に突入し、城を攻め落とすというシンプルな作戦です。南総里見八犬伝は創作なので成功したかもしれませんが、現実的には難しい話です。

鎌倉街道を選択する理由

鎌倉街道を通る理由は、江戸に経由で横浜に向かうと、江戸の大名や旗本が邪魔だからです。そのため、飯能・箱根ヶ崎・拝島・八王子のルートを進軍し、横浜を目指す計画を立案します。今でこそ、拝島や八王子は広大な住宅密集地ですが、当時は農村だったため、江戸を通るよりも遥かに進軍しやすかったのです。加えて、道中で志を同じくしている者も倒幕計画に加わるかもしれないという希望的観測を持っていました。

横浜を目指した理由

渋沢栄一たちのイデオロギーは、いわゆる尊王攘夷でした。外国人排斥の信念を持っていたため、外国人の多い横浜での焼き討ちを目標にします。横浜全体を焼き討ちにすることが目的ではなく、外国人の住む洋館に火を放ち、外国人を片っ端から襲撃しようということが目的です。今で言えばテロリストと同じ行為と言えます。

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高崎城乗っ取り計画中止

尾高長七郎の説得

栄一は、尾高新五郎、渋沢喜作、真田範之助、中村三平、そして京から戻った尾高長七郎といよいよ始まる高崎城乗っ取りの作戦会議をしていました。新五郎が作戦の内容を説明しだすと、長七郎が突然「不賛成!」と叫びます。一瞬、殺気立った雰囲気になりますが、新五郎が長七郎の言い分を聞きます。長七郎は、

  • たかだか70人で高崎城乗っ取りは無謀
  • 乗っ取ったとしても、幕府の討伐軍に物量で負ける

という、至って冷静な指摘をします。京に行っていた長七郎いわく、十津川で起こった天誅組(尊皇攘夷派の武装集団。1000人近くの兵数になるも、武装は貧弱で烏合の衆だった。)の反乱の二の舞になるだけだ、と皆に言います。つまり「無謀だ、命を捨てるだけだ。」これに対して、栄一は、「決起すること自体が目的で、もし死んだとしても、それを聞いた志士たちが立ち上がる」と一歩も引きません。栄一は長七郎を刺し違えてでも決起すると言い、長七郎も栄一を刺してでも止めると言います。

挙兵中止

「やってみないとわからない」「無謀だからやめろ」という栄一と長七郎の押し問答は、夜通しどころか翌日まで続けます。長時間言い争った末、疲れて冷静になったのか、京で見聞きした長七郎はの言うことは説得力があり、この挙兵について改めて考えてみると無謀であると面々が理解し始めました。そして、遂に尾高新五郎が「挙兵は中止し、しばらく天下の大勢を見守る」と言うと、ようやく栄一は収まりました。すると、長七郎が「これほどまでに有能な人材が、命をなげうってでも国の事を憂いているのに、志が行えないというのは、天もまた無常だ」と言って号泣しました。この時から、尾高長七郎は精神に異常をきたしたと言われています。

栄一はとても悔しい思いをしたのか、直前に勘当までしてもらった渋沢家に戻ります。栄一の父が「どうなった?」と聞くと、栄一は「瓦解!」と言って黙ってしまいました。命をなげうってでも国を変えようと意気込んでいたにも関わらず、直前になって中止というのは、振り上げた拳をどうすれば良のか分からなかったのだと思われます。

栄一、京へ

これで話は終わりません。挙兵計画をしたたかに行ってはいましたが、武器を持ち込んだりしていたので、「一揆を企てるつもりではないか?」と領主から目を付けられていました。いつ、難癖をつけられて投獄されるかわからないため、伊勢神宮へのお参りという名目で京へ向かうことにしました。当時の栄一は24歳。しかも、父から100両もらって、妻子は実家に置いて行くという。まあ、実家が裕福な渋沢家ならではのお話ですね。

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編集後記

ちなみに、挙兵計画で集まった69名の装備に鉄砲はありませんでした。高価で関所を通るのも難しいため、調達を諦め、槍と刀という戦国時代に鉄砲が伝わる前の装備で挙兵を試みていました。しかしなが、槍と刀と言っても鉄砲よりは資金が必要無いのですが、武器なのでやはり金はかかります。それをどうやって工面したかというと、藍玉の販売で得ていた売り上げの中から、一部をくすねていました。

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参考資料

第1巻(DK010016k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

『父 渋沢栄一』(実業之日本社文庫)

『渋沢栄一』(人物叢書)

2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!